歪みのうちがわ

ぶらぶらしたり、忙しかったりしながら生活しています。

甘い身体

最近、坐禅を組むと終わったあとにどうも頭がボケ〜として、目があんまり開かなかったり筋肉が甘く弛緩している感覚を感じることが多くなった。あと、坐禅中に視覚のピントをあえてボヤかして輪郭と色の世界まで解像度を下げることで入ってくるものを情報ではなく景色としてやり過ごす感覚が楽しめるようになった気がする。

 

昨日イメージしたのは、まず、息を吸う時に横隔膜を開きつつ砂の塔が心の中にぐぐ〜っと屹立し、深く息を吸い込みながら塔が高く伸びてゆく感覚。思い切り空気を吸い込んで塔が伸びきったところで、まるで打ち寄せる波が砂の塔をもろとも攫ってゆく感じでフゥ〜〜…と息を吐き出す。この、塔を創造しては解体して…という穏やかな振幅を繰り返していた。イメージの中では実際に緻密に作られた構造を一旦粒子レベルまでバラバラに分解して、それが磁石で集めた砂鉄のように再び再構築される感覚。それが、映像的に了解されている。

呼吸のリズムに集中できていると、塔の高さが限界に達した肩あたりの緊張感が一気に崩されることによる開放感、ゆるみ、身体が受けるずっしりとした重力をモロに感じることができる。それがすごーく気持ち良くて、「甘い」感じがする。大体、気持ちいいものって全部「限界まで高まった緊張感が一気に解放されること」で説明がつく気がするけど、それを自分で探究し制御している感じだ。なおかつ、瞑想はその経験に没入しつつも同時に「没入しているわたし」を冷静に観察しているため、どこかべつの場所にぷかぷか浮かんでいるような不安定だけど安定しているようなところがあって、それが非常に面白い。