歪みのうちがわ

ぶらぶらしたり、忙しかったりしながら生活しています。

あたまとからだがからっぽ

前がものすご〜く気持ちよかったから、今日もまた気功教室。一風呂浴びた後のような心地よい倦怠感。ボケーとしてものを考えられない。先生は、日に何度も教室持って日常生活に支障はないんだろうか。緩んだ意識の切り替えが追いつかないんじゃなかろうか。

 

身体がどこまでもからっぽ。からっぽだから、奥行きが果てしない。例えるとすれば、ゼリー状の液体が入った布袋みたい。先生は「器」という表現をしていたな。イメージでは、ゼリー状の溶液の中に気の粒子が溶け込んでいて、粒子の離散集合にまかせて身体の重心がゆったりゆらぐような感じ。個人的には「外殻」という言葉がピッタリくるけど、身体の方が意図的に外側から重みを統率しているのではなくて、内側に蓄えられた気の粒子の密集度の移動があたかも波のように動きを作り出している。ザルに小豆を入れて左右に揺らすことで波の音を演出する楽器があるけど、身体全体がそれになった感じだ。

上半身を脱力して、お布団みたいなポーズでダラーンとしていると、だんだんと手の指先に血が溜まって重くなっていくのがわかる。でも姿勢を直すと、重力にまかせて粒子の滞りがサラサラと拡散していき、それとともに指先がすっと軽くなる。手の色も白くなっていて面白い。

 

今日一番驚いたのは、意識が弛んで静まった状態で坐っているとき、尾骶骨の位置を正そうとして腰椎の骨ひとつひとつの存在感がわかったこと。腰から上をゆっくりずらそうとすると、腰椎の小さい骨がひとつずつガクッと動くのがわかる。もう少し居直るとまた骨がガクッ。さらに背中を伸ばすとまたガクガクッとして、腰を落ち着かせるだけでこわごわ。でも面白い。

 

ひととき借り物の身体をいただいたのなら、とことん楽しまないともったいない。こんなに奥行の深い代物を生きていることが驚愕で奇跡だ。